『浜村渚の計算ノート』感想
『浜村渚の計算ノート』を読んだので、感想をまとめておきます。
作品情報
表題:浜村渚の計算ノート
著者:青柳碧人
レーベル:講談社文庫
内容紹介
「数学の地位向上のため国民全員を人質とする」。天才数学者・高木源一郎が始めたテロ活動。彼の作った有名教育ソフトで学んだ日本人は予備催眠を受けており、命令次第で殺人の加害者にも被害者にもなりうるのだ。テロに対抗し警視庁が探し出したのは一人の女子中学生だった! 新時代数学ミステリー!!
(裏表紙より抜粋)
世界観
少年犯罪を抑止するため、教育改革がなされた現代日本。
いわゆる「勉強」というものが減り、「心を伸ばす教科」中心の教育がなされています。
地理では郷土史のみ、歴史では鎌倉以前がカットされ、理系科目については「科目」とすら呼べない状況。
そんな日本で突如、数学界の権威によるテロ活動が始まり、事件を追う警察たちの様子が描かれます。
登場人物
浜村渚
本作のホームズ枠。
推理力はないものの、数学に関する幅広い知識を持つ。
千葉県警から紹介され「黒い三角定規・特別対策本部」に協力する。
武藤龍之介
視点人物。本作のワトソン枠。
警視庁「黒い三角定規・特別対策本部」所属の数少ない20代。
一流の射撃能力を持つ。
大山あずさ
警視庁「黒い三角定規・特別対策本部」所属の数少ない20代。
沖縄の離島出身で、琉球空手の使い手。
瀬島直樹
警視庁「黒い三角定規・特別対策本部」所属の数少ない20代。
アメリカ育ちの帰国子女で、プライドが高い。
高木源一郎(ドクターピタゴラス)
本作のモリアーティ枠。日本を代表する数学者。
高校数学の教育ソフトを手がけた人物でもある。彼の教育ソフトで学んだ国民全員を、催眠を通じて意のままに操れる。
感想
個人的な好き度 3 / 5 点
人に薦めたい度 4 / 5 点
連作短編ミステリーというのでしょうか、軽い気持ちで楽しめるライトミステリー作品でした。
シリーズものの第一作であり、黒幕との決着はつかないまま終わりますので、そこはご注意を。
数学を題材にはしていますが、数学的な知識がなくとも十分に楽しめます。むしろ、こういう作品は、数学苦手な人ほど新しい知見に出会えて楽しめるのだろうなーと思ってます。
一方で、数学をある程度学んだ人間からすると、これはどうなんだ? みたいな怪しい表現が目に付くようになる部分もちらほらあったりします。
チャプターの表現
実はこの作品、本を開いた目次の段階から面白い仕掛けが。
シリーズ第1巻にあたる本作は、大きく4つの事件に分かれているのですが、その章の表現から小洒落ているんですよね~。
各章は対数、各節は平方根を使った表現。後半は別の表現になってたりします。
作者さんの数字に対する愛が垣間見えていいですね。
アカデミアに対する風当たりの強さ
実は内容とはあんまり関係しないのですが、序盤を読んでひっくり返りました。世界観設定がとんでもないことになってる。この日本、かなりのディストピアです。
教育が終わりを迎えています。歴史から、鎌倉以前をカットした……。要するに、紫式部って何? ってことでしょうか。(「心を伸ばす教育」の観点から古典には触れるかもしれませんが)
詳しくは明言されていませんでしたが、二次方程式の解の公式なんか言える人のほうが少ないのでは……という世界観です。
大学は機能しており研究者も多くいますが、優秀な研究者は、まともな研究をするため海外に行く始末……。
文科省がアカデミアを無視し続けた結果のような終末世界。この世界の文科省は幼卒しかいないのか? ってレベルを想像して鳥肌が立ちました。そんなの、変革だって起こしたくなる。
中には、数学を愛する若者たちで派閥を組み、過激な行動に走るような描写もあって、これはもう学生運動だよなあなんて思ったりもしました。
日本の教育に警鐘を鳴らしたくなる悪役の気持ちも分かります。
が、本作はミステリー。
こんな世界を改革してやる! っていうのは悪役の方。
こちらはテロリストを捕まえるための警察組織です。
扱っている数学の題材
登場する数学の知識いろいろありますが、章ごとに中心となる題材があって、
log10. 四色問題
log100. 悪魔の数字 "0"、カルダノの公式
log1000. フィボナッチ数列
log10000. 円周率の評価
といった感じでした。いずれも、数学の本とかコラムでは、よく書かれている内容だったりします。
十分な数学教育を受けていない警察官の視点で解説を受けることになるので、よく知らなければ学びなおしに、知っているなら再確認できる構成になってます。
レベルに関してですが、簡単すぎてつまらないなんてことはなく、かといって難しすぎることもなく、自然界にギリギリ現れる程度のこのレベルが、一番良い塩梅だと思います。
ただ、0の話でちょっと違和感が。「4÷0」を問われた際、大山は「0」と直感的に返してましたが、個人的には直感的な答えは「∞」になりそうなのになーなんて思ってました。
「0÷4」と混同して「0」って答えちゃう気持ちは分からくもないのですが、式の意味を理解しようとすらしていないのでは……と心配になります。
実際、現在の小学生に聞いたらどんな答えが返ってくるんでしょうかね?
数学者の奇人変人ぷり
本作ですが、描かれる数学者たちが、まあまあみんなドキツいキャラクターをしているんですよね。
「物語にする上でのキャラ付け」と言ってしまえばそれまでですが、この作品はそれだけじゃないのが問題で、ここに登場する理系の人物、ほとんどが信用できない人物になってしまってるんですよね。
黒幕は数学界の権威ですし、登場する犯人はみな何かしら数学に絡めた謎を出す程度には数学力の高い人間ばかりです。
そんな人物たちが、明確な信念を持って罪なき人々を記号的に殺害していく様子。アカデミアに対する信用を失ってしまわないかと心配になります。
それでいて、類を見ないほどに個性的。普段の生活でも奇人変人ばかり。
これはもう数学者というか、理系に対する偏見があるように感じてなりません。
そんな中、対比される渚ちゃんがとても可愛く描かれていました。
数学に対して深い知識を持っていて、分からないところをちゃんと疑問に持って、数学の談義ができる中学二年生、かわいくない訳がない。渚ちゃんだけが、この世界の希望ですよ。
とはいえ、理系キャラの中で、まともに信用できるのがこの子だけだったのは悲しいですね。渚を導いてくれる先生的な立ち位置が、あと1人で良いからほしかったなあ、なんて思ってます。
本作を手に取った読者にとっては、「数学」への見方はかなり改善されるように思いますが、「理系男子」に対する見方はだだ下がりになりそうです。
でも言われてみれば確かに、理系ってこういう生き物な現実もあったりします。かなしいね。
数学を題材に物語を作ることついて
そもそもの話、数学を題材に物語を作るということについてですが、これ自体、すごく難易度の高いことだと思うんですよね。理由はいくつか考えています。
その一つは「数学」という言葉の多義性です。一口に「数学」と言っても、中学校の二次方程式で止まっている人もいれば、大学で位相空間論からしっかり勉強している人もいます。
また、入試や数オリなんかで使うような問題を解く科目としての「数学」も、リーマン予想のような最先端の研究としての「数学」も存在します。
これらの広い意味が、全部「数学」という一語に集約されちゃってるんですよね。
勉強としての数学を扱うと、理系の読者からは数学ではない何かに映ってしまいます。研究での数学を扱うとなると、そもそもが難しく一般的な感覚からかけ離れてしまいます。
また別の理由としては、数学そのものに創作の余地がないということもありそうです。数学が扱うものは、数字を用いた論理です。ですから、数学の論理を自由に設定し自由に物語を描く、なんてことはできないんです。(それができたらもう論文です)
物理も歴史も、異世界に行けば設定することができます。しかし、数学――論理だけは変わりません。
私も、数学を題材にした本はいくつか知っていますが、いずれもこれらの点で不自然に感じることを多く経験してきました。
そういった上で、これらの問題をどう乗り越えて物語を描くかというと、「数学」ではなく「数学が背景となった事件を描く」「数学に向き合う人々の生活を描く」ことが多いように思います。
ご多分に漏れず本作も、「数学」を題材にしていながら、あまり真面目な「数学」を語ることはしていないです。どちらかというと「数字を使ったマジック」を魅せられている気分になることも、しばしばありました。
とはいえ、ミステリーは数学要素が絡んできますし、お話のオチにも必ず数学が絡んできます。そのあたりのミステリーの作りは巧いと感じました。
数学で物語を描くことへの限界は感じましたが、その中でも十分に数学の魅力が表現されているような小説だと思ってます!
感想まとめ
数学を題材にしたライトミステリーです。数学を知らない人ほど楽しめる内容です。
数学者に対する扱いがひどい世界、一流の数学者たちがグレて反社会勢力になってしまってるというあまりにひどい惨状。その中で純粋に数学に興味を持ち、謎に立ち向かっていく渚ちゃんだけが明るく輝いて見えました。
その他
www.hamamuranagisa-musical.com
舞台化もあるみたいです(読んでから気が付きました)
青い鳥文庫からも刊行されているようです。
小学生でも十分に読めちゃう内容ですしね~。